写真にまつわるエトセトラ

AUGUST 3 ,2004

 
■一枚の絵 その後の後
No.014



このコーナーで何度か取り上げているもうおなじみのサイト、EPSONの『美の巨人』についに純粋な写真家が登場。

しかし、前回の私の期待とは裏腹に登場したのは土門拳。今後に期待。

さて、その土門拳。私はあまり好きではない。以前、重度の「非演出症候群」にかかっていたからというのがその理由である。当時、私は土門拳も絶対非演出という言葉も知らなかったのだが、雑誌等を読むうちに気づかぬうちにその病気に感染してしまっていた。

―――非演出症候群。写真撮影において一切の演出的行為を行うことができなくなる奇病。

画面に入り込むタバコの吸殻を画面外へ移動させることもできず、レンズの前の邪魔な草を折ることもできず、猫を振り向かせようと音を立てることもできず、セッカチな私は、ストレスを抱えたままシャッターを切ることを繰り返していたのだった。

明らかに土門の提唱した「絶対非演出の絶対スナップ」を曲解したような症状。しかし、ウソをつくのが大嫌いな生真面目な私にとって、その感覚はかなりシックリきていたのも事実だった。その後、そのような「縛り」によって、写真も自分も狭めてしまうことに嫌気がさして、病気の治療を決意。現在もリハビリ中であるが、未だに写す場面に手を加えるのはストレスを全く感じないというばウソになる。

そんなワケで、リアリズムという文脈の中で「絶対非演出の絶対スナップ」などという誤解を招くようなスローガンを掲げていた土門拳を好きにはなれないのだ。土門は誤解を招くような言動をしがちで、その場の勢いとか、言葉のインパクトだけで言っている部分もある。タチが悪いのは、その言葉が独り歩きしたときに、表面的なことだけがなんの疑問もなく簡単に受け入れられてしまうということだろう。

provokなども、よく誤読されることがあったようだが、こちらは「簡単に受け入れた」場合には、明らかな矛盾が現れるので、よく考え直すこともできる。しかし、土門の場合は、表面的には一貫してスジが通っているだけに厄介なのだ。

結局、言葉でなく写真を見た方が早いのかもしれない。そういう意味では、写真はウソはつかないのだから。

 

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