写真を撮るのに必要なものはなんだ。そう、カメラだ。
写真は、選択の芸術と呼ばれることもある。被写体や場面を選び、使用するカットを選ぶ。その選択の結果が写真表現ということなのだろう。もちろん、ここでカメラの選択も忘れてはいけない。ミノックスからバイテン、或いはそれ以上まで、数ある写真のフォーマットを決めるのがカメラだと言ってもいいだろう。まずこのことを心に留めておいて欲しい。
さて、読者の皆さんは普段どのようなカメラをお使いだろうか。ちょっと前までなら、35mmのコンパクトカメラや一眼レフがほとんどだったのではないだろうか。それが恐らく、現在はデジカメに乗り換えた、或いはデジカメしか使ったことのない人もいるかもしれない。
え、両方持っている?そうですか、奇遇ですね実は私も両方持っているんです。でも、迷いませんか?いや、AFの話じゃなくて。確かにAFも迷いますが、“どのカメラで撮るのか”ってこと。
フィルム時代なら、普段持ち歩くカメラはコンパクトも一眼も全て35mmフィルム用だった。その頃もどのボディで撮るのか迷うことはあったが、どれで撮っても出来上がる写真の35mmというフォーマットは変わらない。仮に中判以上を持ち出す時でも、それはそのフォーマットを使う目的のある時なので迷うことは少ない。ここで問題にしたいのは普段、なにげなくいつも持ち歩いているカメラの場合であることを再確認しておきたい。
では、デジカメになってからはどうだろう。デジカメは画面の縦横比も画素数もカメラ毎に異なる。例えば、400万画素のコンパクトデジカメと、600万画素のデジタル一眼、35mmフィルムのコンパクトカメラを持っている場合。画面比率は、コンパクトデジカメは4:3、デジタル一眼は1:1.5、35mmフィルムは1:1.5、もちろん画素数、記録方式も異なり、どれで撮っても違うフォーマットとなる。
ここで私は躊躇してしまう。撮る前から“重大な選択”を迫られているのだ。そんな迷いを抱えたままでの撮影が上手くいくワケがない。全てのカメラで同じ場面を撮るなんて面倒極まりない撮影が上手くいくワケがない。フォーマットの選択は画質優先とか、そういう話でもない。機動力や撮影可能性等々、写真行為全てに係わる重大な問題なのである。
もうひとつ別の角度で見てみよう。サブカメラという概念がある。一台のカメラが故障したときの予備のカメラという位置付けだ。2台のカメラに違うレンズを付けて撮ったりという使い方もできる。35mmフィルムの場合はそれでよかった。これがデジタルではどうだ。撮るカメラによって出来上がる画面が違う。サブカメラにするならば、全く同じボディを二台持たねばならない。なにが言いたいのかというと、「EOS-1とEOS5」という組合せと同じ感覚で「EOS-1DsとEOS10D」を使うことはできないということ。それは「EOS-1とEOS
IXE」の組合せと相似なのだから。
ぶっちゃけた話、私は、カメラを買うときに選ぶのは大好きだが、撮るときに選ぶのは大嫌いなのだ。写真行為はできるだけシンプルでありたい。特に撮影の瞬間、瞬前は撮ることだけに集中したい。しかし、デジタルになって、ちょうどその集中したい間に重大な分岐点を通らなければならないのがどうにもストレスになっている。“撮影する気持ち”に係わる“深刻な”ストレスだ。同時に多くのフォーマットのカメラを持ち歩く恐怖。この感覚、うまく文章にして言えないのがもどかしい。
このような側面をカメラメーカーは考えているのだろうか。え、私だけ?そうですか。でもそういう人もいるってこと、知ってください。全てのデジカメにも共通するフォーマット規格が欲しいと願っている人がいるということを、それもSillicon
Filmのような撮像部交換式の、ね。
多くのフォーマットを同時に持ち歩き、そのカメラ毎に作品を撮り分けていることで知られる荒木経惟。この方法は一見単純に見られても、撮影の瞬間からその後の作業まで一貫して“気持ちよく”作業できる非常に上手い方法である。彼はデジタルになってさらに複雑になったフォーマットに、どう対応しているのだろうか。
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