今回紹介するのは、休日にひとり寂しく、かつ慌しく行って来た展覧会『ブラジル:ボディ・ノスタルジア』展だよ。「身体」をキーワードとして、ブラジルの現代美術とそのルーツを探ろうとする展覧会とのこと。そもそもブラジルについては全く門外漢なボク、でも写真作品もあるみたいだしどんな新鮮な体験ができるのかチョッピリ期待といったところかな。
と、いつも勝手に期待して勝手に裏切られているんだけど、今回もそういう意味ではご他聞にもれることはなかった。別に、べたべたなブラジル土着的な作品を期待したわけじゃ全然ないんだけど、どうにも西洋かぶれというか「どこかで見た」ような作品ばかりだったんだよね。
正直、新鮮な体験はもとより、「ブラジルらしさ」というのも感じられなかったね。どこからか輸入した手法そのままに、モチーフやコンセプトだけスゲ替えたようにも見える。誤解を恐れずに言えば、その辺の美術学校の卒展といった感じ。
これが輸入した手法を使ったのだとしても、ずば抜けて良いものを提示できていれば評価は違ったかもしれないね。例えばブラジルのミュージックシーンには「ヘヴィメタル界のカナリア」アンドレ・マトスがいて、ジャーマンメタルを下敷きにしつつもブラジル人としてのアイデンティティを決して忘れることなく、一つの頂点を極めることに成功しているのだから。
作品全般については概ねこのような感想なのだけど、ミゲル・リオ・ブランコの写真作品には少し注目するところもあったよ。
ギリギリまで落とされた展示室の照明と絶妙なスポットライト、そしてなによりプリントの艶、これらが上手く組み合わされてあたかも、背後からライティングされて光っているかのような効果を出していたんだ。
美術学校の卒展と言えば、半透明フィルムにインクジェットで出力した写真を背後からライトで照らして展示というのが、うんざりするほどよくあるのだけど、そんな小細工はこの展示の前では写真そのものに自信がない者の逃げの一手にしか見えないよ。
ちゃんとした美術館へ行く機会には、ぜひこのような作品の見せ方にも注意してみてよ。デパートの展示では絶対に味わうことのできないワザが光っているからさ。
そういえば、今年の写真新世紀展の吉岡佐和子の個展も半透明フィルムにライトボックスだったな。
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