写真にまつわるエトセトラ

MARCH 31 ,2004

 
■写真における親の影響に関する考察(1)
No.009



第1のキャラクター
JIN Ueda、彼の場合


―――なぜ体切れてるの

「だって、しかたなかったんじゃないか」

―――同じ猫だったのに

「違う!人も入れたかったんだ」

―――だから切ったの

「そうだ、ああしなければ背景が死んじゃう、皆といっしょになっちゃうんだ」

―――だから切った

「助けて、誰か助けて」

―――だから切った

「お願いだから誰か、助けてよ!」



そして―――写真の補完がはじまる。




私がまだ写真を始めて間もない頃、バイト先のカメラ屋でDPEプリントのサイズ見本に使う写真を撮ってくるという仕事があった。“子供にもウケがいい動物写真を縦位置で”というのが条件だったので、その頃撮り始めていたノラ猫を撮ることにした。

ピントや構図があやしげな中でなんとか2カットが、6Pと4PWに採用された。
しかし、自分が推したものとは違うカットが選ばれたのがチョッピリ不満でもあった。

それでもやはり嬉しかったのか、帰宅後、両親にその時に撮った写真を見せた。自分で撮った写真を親に見せるなんて初めてのことだった。

「あら、カワイイわね」

「よく撮れてるじゃないか」

そんな、言葉を期待していたワケではない。
自分がどこまでできるのか、見て欲しかっただけなのだ。

しかし、そんな自身満々な写真達は、
少しでも親に認められたいという青年の心をアッサリ裏切り、

「主題である猫の体や尻尾の一部が途中で画面から切れてしまっている」

という判断基準から次々とダメ出しされるハメになる。

「ダイナミックな画面構成が」とか、「日の丸構図だとつまらないからね」 などといっても、もはや言い訳にしか聞いてもらえず、スゴスゴと自室へ退却し、ひとり枕を濡らすほろ苦い、というかメチャ苦い夜なのだった。

―――もう親に写真を見せるようなことはすまい、もう二度と!

と決意したのは言うまでもないが、得意科目を延ばすのではなく、苦手科目をなくす努力をする
のが私の習性なのであって、これ以降撮る写真には足から耳の先まで猫の全身が画面にキッチリ納まることとなったのである。


メデタシメデタシ―――――だがしかし、事はここで終わったのではなく、これから続く長い長い悪夢の始まりでしかなかった。

つづく