写真、写真言っているが、そもそも一体「写真」とは何を指して言うのだろう。
私にとっての写真について語る前に、まず「写真とは何か」を問わねばならない。
写真を普遍的尺度として何かを説明するとき。
その説明は、例えデジタルであれ、ポラであれ、全ての「写真」というものについて適用されるものでなければならない。
このことを踏まえた上で、まず写真の定義とは何か探ってみよう。
定義的側面から写真を捉えるとするならば、確かに、ベルグソンやバルトの言うように、写真とは「光の痕跡」であることはある意味では正しい。
この「写真=光の痕跡」を振りかざし、原爆によって焼き付けられた人の影までも写真と言ってしまう者もいるようだが、しかしながら、
光の痕跡“全て”が写真というワケではない。
ここを履き違えてはならない。
もし、原爆による影を写真と言うならば、シルクスクリーンも写真だし、窓際の書類にできた“焼け”も写真だろう。
さらに、腕にできた腕時計の日焼け跡も写真と言わねばならない。
こうなればジョセフ・ニセフォール・ニエプス以前にも写真は存在したことになろう。
そして私たちは、光を使わない写真すらも知っている。
「レントゲン写真」
この写真と呼ばれ、フィルムに記録される像は光の痕跡ではありえない。
かくして、写真は光の痕跡でもなくなってしまった。
写真が光の痕跡だったというのは、100年余りという写真の歴史ではあるが、すでに、古き良き時代の話なのである。