ちょうど近所の大学で森山大道の写真展があって、しかも2つが同時開催。おまけに作家本人による公開講座も開かれるっていうじゃない。これは行くしかないと自転車を駆ってかなり早めに会場へ向かったんだ。だって講座の前に展示を見ておきたかったからさ。そしてそれはちょうど、自転車置場へ向かう横断歩道を渡っている時だった。何気なくすれ違う瞬間に目に入る白いジャケット。首から不自然に短くしたネックストラップのカメラを下げている。あの人だ、ある人達にとっては写真の神様たる森山大道その人だ。公開講座では本人を前にできると楽しみにしていたんだけど、いきなり道端で神様とすれ違うとは思わなかったさ。
そんな微妙なドキドキ感を持って『森山大道展』の会場であるギャラリーRAKUに入る、するとまた本人が。講座での対談相手である大竹昭子女史も一緒だ。てっきり講座までは裏で関係者とマッタリするのかと思ってたから意表をつかれちゃったよ。おかげで、本人を意識せずに作品を見ようとする努力がいるし、その時点でもうストレートに作品を見ることができていないんだから、まいっちゃったね。本人が出て行った後で申し訳程度に会場を見回した感じでは、巨大なプリントが壁面に所狭しと並べられていて、『新宿』からのが目に付いたけど、古いやつかなぁ見たことないイメージも結構あったんだね。こうして新旧がごちゃまぜに展示されても、違和感がないというか一様に納まって見えるのがスゴイよ。変わるのは時代や人間であって、写真家森山大道のこだわりはなにひとつ変わらずといったところかな。
さて、もうひとつ地下の会場ディーズギャラリーにて開催中の『BUENOS AIRES』も見ておこうか。こちらは本人はいなくてゆっくり見ることができる...と思っていたら、またしてもお付の人を連れて登場。タイミングが良いのか悪いのか分からないよ、マッタク。こちらは早めに退散して、講座が終わった後にもう一度ゆっくり見てみたんだよ。
これらはブエノスアイレスに二度にわたって行った際に撮影されたもので、本人も「久しぶりに、ヤっちゃったなぁ」と評するだけあって森山節が全開、それはもう臭すぎる程に。どうしても先の「新宿」と比べたくなるのだけれど、やはり「新宿」にある今にもイメージがこちらに倒れ掛かって迫ってくるような圧倒感は感じられない。「新宿」では、日々堆積される膨大な数のショットが可能にするイメージの厚みのようなものが出ていると思うのだけれど、「BUENOS
AIRES」は“異邦人がサッと行って撮ってきました”という感じがあるんだ。でもナワバリである新宿とは勝手が違うのは当然というかむしろ「新宿」が森山の作品の中では特異なのかもしれないよ。だって、いつも森山が言う“擦過”ってことを踏まえるならずっと「BUENOS
AIRES」の方が“擦過”ッポイんだから。“久しぶりに、ヤっちゃった”とはきっとそういうことなんだと思うね。
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