MAY 21 ,2005

■長島有里枝展 『Her Projects〜memories of no one〜』
No.034
[場所] KPOキリンプラザ大阪4・5F
[期間] 2003年5月14日〜7月18日
[料金] 500円(一般)


今回は大阪まで出掛けて長島有里枝の写真展『Her Projects〜memories of no one〜』を見てきたよ。HIROMIX、蜷川実花と一緒にいわゆるガーリー御三家とか三羽ガラスといったくくりで捉えられがちな長島、関西初個展となる本展ではその辺りの評価の妥当性も含めて見ていきたいね。

会場のエレベーターを出たまず最初の印象は、展示が非常に「疎」ということだった。それは、作品のサイズや展示密度だけじゃなくて、各作品テーマの繋がりについてもね。たとえば、壁にかけられている写真にはどこかの風景が写っていて、その下に設置されたヘッドホンからは写真の風景が満たされているであろう音がながれていたし、小部屋のように囲われた空間には玉止めを施されたTシャツがぶら下がっていて、壁面はその玉止めを行った人のポラロイド写真で埋められていた。また、一見家族の記念集合写真に見えるが実は赤の他人を組合せて撮られたものなんてのもあったよ。

こうしてみるとそれぞれが独立した作品で、相互のつながりはやっぱり希薄に思えるね。唯一の共通項といえるのはその展示手法。どれも単なるプリントの展示じゃなくて、鑑賞者の参加を促す、或いは参加を前提としたインスタレーションといった感じなんだ。あれ、でもちょっと待ってよ。ガーリーフォトってこんなのだったっけ?長島有里枝ってガーリーフォトの先駆けだとか雄だとかカリスマだとかって誰か言ってなかった?

ガーリーフォトの定義について云々は、またの機会にゆずろうと思うんだけど、「家族や友だちやお気に入りな品々等といった身の回りの日常的な被写体を気負いのない距離感で捉えた写真」という感じかな。結論から言えば、ここにある長島の写真作品群は決して「ガーリーフォト」じゃあないよ。ためしに、作者名を伏せてこれらの写真を色んな人に見せてみればいい。「ガーリー」だなんて一言も出てこないことウケアイってもんさ。

これは一体全体どういうことだろう。今回そのほとんどが新作だという本展。これらを「ガーリー」というバブルに見事に踊らされてしまった反骨精神と捉えたり、「ガーリー」などどこ吹く風と、マイペースにその時自分が撮りたいものを撮っていると見たり、様々な評価が出てくると思うけど、少なくとも写真展のチラシに高らかに謳われた「ガーリーフォトのカリスマ」的写真を期待して来場した人は戸惑いと残念感に満たされるに違いないね。そういう意味ではその作風に反し「ガーリー」という過去の、しかも見せかけの栄光に未だすがり続けているのだと言えるのかもしれないな。だってこれを単に集客目的のうたい文句だと断じてしまうには、あまりにもプロデューサーがキナ臭すぎるんだもの。

ひとつハッキリしているのは、これらの作品を前にしてもまだ「ガーリーフォトのカリスマ」だなんて臆面もなく言ってのける某プロデューサーに頼らなければならない、とっくにガールなんかじゃなくなっている作家の現実。ひょっとしたらセルフヌードは撮れてもセルフプロデュースできないのが「ガーリー」たるゆえんなのかもしれないね。