APRIL 17 ,2005

■『EDEN〜終章〜』須田一政
No.031
[場所] NADAR
[期間] 2005年4月12日〜4月24日
[料金] 無料



前回の『はっちゃんだらけ』とハシゴして見に行ったのは、須田一政の写真展『EDEN〜終章〜』だよ。会場は雑居ビルの地下にあるギャラリーNADAR。こじんまりとした空間の壁に数点作品が掲げられていたね。雰囲気はまるでリビングに掛けられた絵のようで、どれもあまり主張しない感じ。
一枚ごとのイメージをみてみようか。そこには感動するような美しい風景とか造形的な素晴らしい構図とか非日常的な瞬間なんかが写ってるなんてことは全くなくて、別段どうということのない街の一角が写っているだけだよ。ただ、そのプリントはちょっとゾッとするくらい丁寧に美しく焼かれていたね。

これで、作家は何を言いたいのだろうか。パッと見て、何も惹き付ける魅力のないイメージ。それは見る者に一見“誰にでも撮れそうな”錯覚を呼び起こすかもしれない。でも一度撮ってみれば分かると思うんだけど、何の変哲もない写真は、実はかなり意識的にならないと撮れないものなんだ。レンズの向こうに対峙した場面を注意深く凝視し、その場の特別な“何か”を丁寧に削ぎ落としていく。
でも仕上がったイメージはそんな技術の高さや、選択眼の独自性を声高に主張するようなものではなかった。迫るもののない、控えめな写真ってことなんだ。これをストイックと言ってしまうのは簡単だけど、ボクはちょっと違うように思うよ。その写真が控えめであればあるほど禁欲的というよりむしろ抑えきれない欲望を感じてしまうんだよね。カタルシスなんて言ったら大げさに聞こえるかもしれないけれど、作家自身「写真を撮る孤独な時間こそが私の『EDEN』だった」というようなことを言っているから間違いないと思うんだ。つまり、ここで言う「EDEN」は直截的に写真のイメージと結びついているのではなく、そのイメージを前にし露光時間を待つ間の作家の心境そのものを指していたってことだね。

このように一見取るに足らないイメージの中にも巧妙にワナを仕掛けていく、かと思えばストリートを印象的な視点で切り取るスナップもこなす須田一政。還暦を越えてなお精力的に活動していく中で、毎年何度も個展をこなし自分の作品の巾を広げていくそのエネルギーの源泉をこの作品で見た気がしたよ。