APRIL 5 ,2005

■写真新世紀 大阪展2005
No.029
[場所] アートコートギャラリー
[期間] 2005年4月2日〜4月30日
[料金] 無料


去年、ボクはもうわざわざ遠出してまで出向くことはないと宣言した「キヤノン写真新世紀展」なんだけど、今回はたまたま会場が職場から近いこともあって、打合せついでに寄ってみたんだ。会場は入口付近がちょっと窮屈な感じで、奥に行くに従って広がっていく感じだったね。一番奥では、昨年大賞受賞者である内原恭彦の個展となっていたよ。

さて、作品は、毎年毎年言っている通り、相も変わらず新世紀を感じさせるものはなかったね。選者の好みに合わせるよう狙って作られた写真、それを疑いもなく選んでしまう選者、次の新世紀は96年後なんだからもっと突き抜けた写真を選んで欲しいと思うんだけどな。

もうひとつ気になったのは、展示の見せ方。この写真展の展示方法は受賞後に決められ、その形態が応募作品とは異なっているものもあるんだ。例えば、写真集の形で受賞したものが、プリントでの展示となる場合等がそうだね。

最近の傾向としてその展示方法が画一的だと思うんだ。それはつまり、巨大なプリントだってこと。確かに、プリントサイズの巨大さはただそれだけで観る者にインパクトを与えるかもしれない。デジタルプリントで手軽かつ経済的に巨大プリントが発注できるようになったのも一つの要因だろうね。
でも、だからと言ってそれで良いの?それが良いの?それじゃないとダメなの?、それってなにか新しいの?同じ会場の皆が同じ見せ方なのが新世紀ってこと?
このような安易な巨大プリント偏重傾向は、まるで本来の写真イメージへの自信のなさがにじみ出ているかのようにも見てとれる。

数年前までの写真新世紀展では、一つの会場内でそれぞれの作品に応じた実験的な展示がなされて、それが良いか悪いかは別にして、少なくともそうした「実験」を楽しむこともできたんだ。こうした「挑戦」こそ「新世紀」の名に相応しいと思うんだけどな。

さて、同時開催の内原恭彦の個展「うて、うて、考えるな。」、これもまた2mを超える超巨大プリントだったよ。 去年、デジタルカメラによる森山大道まがいの街の大量スナップでグランプリを受賞した作家なんだけど、今年はサイズで勝負ってワケだ。

それが、1つの被写体を50枚に分割して撮影し、その画像を貼り合わせることで巨大な超高解像度画像を作り上げたもの。ファイルサイズは1GB、総画素数は数億ピクセル、一枚のファイルを開くだけで30分かかる、とハンパない代物。でも、多数のショットをステッチする手法は別に新しいものでもなく、ただ、銀塩でなされていたことをデジタルでやってみましたという感じかな。

肥大したファイルサイズが操作を困難なものにしたようだけど、新世紀まで行かずとも5年も後には一枚1GB以上の画像も簡単に処理することができるようになることは想像に難くない。つまり、この作品はデジタルによる新しい表現なんかじゃなくて、デジタルによる写真の操作がいかに機器に左右されるかについての問題提起的なところがあったのかもしれないな。

あとこれらの写真は、先の受賞作とは違って、はじめからこのサイズで見せるために作られた写真だよ。そして超巨大プリントでなければ見えてこない微妙なピント位置といったステッチングの面白さが確かに感じられたね。そういう面ではデジタル云々抜きでこのサイズの意味はあったってことだよね。

さて、来年はどこであるのかな。