国立国際美術館のすぐ隣にあるギャラリー、 graf media
gm。オノデラユキ写真展を見たついでにちょっと覗いてみることにしたよ。ところが、開館は12時からですと追い出されちゃった。ボクの携帯は11時50分を指していた、5分進んでるから15分前か。どうせ見るのは5分くらいなんだから待つのはバカらしいとも思ったけど、展示は最終日、そうこうしているうちに開店待ちの小さな行列ができる始末。
ちょっとちょっとちょっと、ボク“は”そこまでして見たいワケじゃないんだ、ボク“は”違うんだ―――と、心の中で叫ぶも、誰に向けて叫んでいるのかよくわからず、そりゃ、空しさも込み上げてくるってものさ。だって、その展示ってのが、奈良美智展『Shallow
Puddles』。“いかにもそれッポイ”方々の先頭きって並んでるボクって一体...
会場内には、gm制作の展示室がスッポリとおさまっていたよ。螺旋を描くような通路の壁に奈良の新作が展示されていて、中心の円形の部屋には素焼きの大判の皿に絵付けをした作品が並んでいたね。
ちょっと、いやかなり前から思っていたんだけど。奈良の作品を初めて見たときは「キテる」と感じたんだよね、それがどうもそれ以降は「イマイチ」。それは今回の展示も例に漏れずだったよ。簡単に言えば、毒抜きをしつつ縮小再生産しているって感じかな。その「毒」さ加減が「キテた」っていうのにね。
展示全体として見たとき、確かに展示室という空間を作ってしまうという凝り様は、注目すべき所があったかもしれないな。でもね、そこに展示される作品はどれも、あの初期の執拗さを感じさせるようなある種の“重さ”はない。モチーフやみかけのイメージは似通ったものだとしても、その筆致が明らかに“軽い”んだよね。
素焼きの皿への絵付けなんてヒドイもので、描きました、塗りました、焼き物のことなんか全然知りません興味ありませんって感じだよね。今や、落書きでも高く売れるのかもしれないけれど、それでイイの?
売れに売れて忙しいのは重々承知なんだけど、あえて言わせてもらうなら楽をして制作しすぎじゃないのかな。とりあえず、写真なんてやってる場合じゃないと思うんだよ。それよりもっとやるべきことがあるんじゃない。
まぁ、そんなのを祭り上げている鑑賞者達も含めた周囲がナメられてるってだけなんだろうけど。
|