さて、今回は土門拳の写真展を紹介するよ。約400点もの写真によって土門の全貌を探ろうという展示。ボク自身土門の写真をまとまって見たことは写真集も含めてあまりないから、これを機会にじっくり見てみようか―――そう意気込んで臨んだはずの展示なんだけど、一枚目を前にした瞬間からボクの頭の中は『?』でいっぱいになった。なぜか。それをまず話さなきゃいけないな。
初めに見た仏像を写したカラープリント一枚、サイズはA0くらいはあったろうか。違和感。なんだろう、あまりにもマット(つや消し)過ぎるんだ。黒が締まって見えなくて、近づいても近づいてもイメージが遠ざかっていく。ここまでマットな写真は今までに見たことなかったよ。インクジェットプリントを除けば、ね。ボクもまさかとは思ったよ、でもその疑念は最後まで否定されることはなかった。確証もないからハッキリそうだとも言えないんだけどね。
数枚見て、“このようにマットに見せるのが土門の目指すところだったのかもしれないな”と(多少無理に)考え始めたボクをさらに混乱させたのが、普通の光沢銀塩カラープリントだ、しかも同じサイズ。水鏡のような表面の暗黒がそこにはあった。マットとグロス混在となれば、これは土門の思想ウンヌンって話でもなさそうだよ。
会場全体を見渡せば、カラープリントはマットが多かったね。モノクロは全部グロスだったと記憶している。でも、こういう質的な部分がてんでバラバラで気にかかっていると、上手くイメージに入っていけないんだよね。逆にどんどんアラが見えてくるってもんさ。
プリントでもう一つ気になったのは、スポッティング跡がプリントされていたものがあったということなんだ。つまり、フィルムからのプリントではなく、プリントをコピー(複写)したものってことだよ。すごく雑なスポッティングだったけど、土門本人によるものを‘あえて’ということなのかな。
そもそも、これらは全て土門拳記念館に展示されているもののコピーなのだろうか?それとも、こんな拡大コピーしたものを記念館に収蔵しているのだろうか?疑念は深まるばかりさ。
そうこうしているうちに展示も終盤。だんだん写真サイズが小さくなってくるんだけど、壁面は明らかにスペース不足。ただ点数を高密度に押し込めただけの展示。正直に言わせてもらうと見ていてツラかったんだ。プリントの質なんかを意識させないくらい強いイメージも確かにあったよ。でもね、残念ながらそのようなイメージをも台無しにしてしまうだけの程度の低い展示。これには悪意すら感じたね。ビデオを流すブースなんか作ってる場合じゃない。
この展示そのものが土門の全仕事であり傑作であると言うのなら、“土門てこの程度の写真家だったんだ”と思われてもおかしくないよ。展示の責任者はどのような意図でこの展示を進めていったのか、もし機会があればじっくり聞かせて欲しいな。見に来るのは老眼の年寄りやミーハーな土門信者ばかりじゃないんだ、来場者をナメるのもイイ加減にしろと言いたいね。
追伸:あと、この展覧会の図録は、すべて普通のよくある光沢の用紙に印刷されていたよ。まったくもってよく分からない。
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