DECEMBER 9 ,2003

■横尾 by ヨコオ :描くことの悦楽−イメージの遍歴と再生
No.006
[場所] 京都国立近代美術館
[期間] 2003年7月8日〜8月17日
[料金] 830円(一般)



さて、今回はひょっとして、はじめて写真展以外の紹介ってことになるのかな?
でも決して写真展に限って見に行くワケじゃないんだ、このところ目ぼしい絵画展がなかったってだけなんだよね。じゃぁ、ヨコオにはグッと来るものがあったのか―――


8月2日(土)晴れ
写真を基に描かれた絵が展示されているということと、東松照明の「長崎マンダラ」がやっていたことがボクを美術館へ向かわせたんだけど。
結論から言えば、久しぶりに図録を買わなかった展覧会ということになるね。おっと、でも待ってよ!それは決して展示がつまらなかったということと直接つながるワケじゃないんだ。まぁ、続きを読んでみてヨ。

まず会場に入って気付かされるのは、順路がないということ。そればかりか、全ての作品を見るためには必ずどこかを二度通らなければならないような配置になっている。つまり横尾が漂うイメージの世界を鑑賞者に少しでも垣間見てもらおうというしかけ、これは「イメージの遍歴と再生」という展示のコンセプトが会場の根底から流れている証拠だよ。好感が持てるよね。

実際に展示の方も、同じモチーフが執拗に繰り返し使用されているものが散見されたね。それも制作時期は様々で、古いモチーフが最近のものに出てきたりもしている。でもこれって、普通なら自己模倣ととられてもおかしくないよね。

ではなぜ、これが評価されてるんだろう。
それは、試しに自分が同じ事をやってみれば分かると思うよ。
どう?ストレスを感じなるんじゃないかな?

でも一体誰が同じものを二度書いてはいけないと言ったんだい?

こうして味わってみると、自分の描きたいものを、描きたいときに、描きたい分だけ描く、―――そんな横尾の既成概念に縛られない自由な姿勢が見えてくるよね。

さて、見たいと言っていた"写真を基に描かれた絵”だけど、以前NHKの番組『新日曜美術館』で横尾の制作風景を見たときに描いていたものなんだ。分かれ道の写真をスライドで壁面に大きく映し出した写真をトレースしたものなんだけど、実物を見た感じはイマイチだったね。もっと大きいサイズの点数を増やして並べた方がよかったかもしれないな。

期待していたものの代わりに目を引いたのが、横尾の日記だったね。
落書きのような絵や写真が貼り付けてあって、その間にびっしり文章が書かれているんだ。見ていて飽きなかったし、メモするエネルギーというか、どんなことをメモしていて、またどんなことはメモしていないのか、で横尾の興味対象も垣間見ることもできる。
なにかの引き金があって、それが画家をしてそれを書かせているのだからね。

次のページをめくりたいけど、もちろんガラスケースの中に入っていてめくることはできない。図録で詳しく見ようにも載っていない。もちろん会場の雰囲気は図録では感じられない。そんな図録に同じモチーフのイメージがたくさん並んでいても・・・・ね

つまり、今回は体験することに意味の重点があって、図録に魅力を感じなかったってことさ。