■「写真新世紀
京都展2003」/「『写真新世紀』10周年記念 Futuring Power展」 |
No.004 |
[場所] ギャラリーRAKU/海岸通ギャラリー・CASO |
[期間] 2003年4月15日〜4月27日/2003年4月23日〜5月25日 |
[料金] 無料/無料 |
今回は1991年からキヤノンが開催している写真コンテスト「写真新世紀」にまつわる2つの写真展に行ってきたよ。
ひとつめは、その年のコンテストの受賞作品が展示される「写真新世紀 京都展2003」。ボクの家から近いこともあって、足を運ぶのは今回で4年目なんだけど、事前に見ている資料から今年はイイ感じなのではと期待してたんだよね。
実際に会場を見てみると、確かに今年のグランプリをはじめイイ感じの作品はあったよ。やっぱりイイものはゾクッとさせるなにかがあるよね。その場面を撮ってる、ファインダーをのぞいている自分を想像したら身震いしちゃうほどのね。
でもね、一方で、つまんない作品もあったんだ。「なんだこれ、パクリかよ!?」ってね、そしてその選者がそれぞれ荒木経惟と森山大道だと知って二度ガッカリってワケ。なんでか。だって自分のエピゴーネンを選んでるんだもの。しかもかなり質の低い、ね。パクられた人がパクッた人を評価してるってこと。これじゃ、「どこが新世紀なの?」って言われてもしょうがないよね。もっとも他に選ぶべきイイ作品がないくらい応募のレベルが下がってるのかもしれないけどね。
理由はどうあれ、こんな選び方をしていたら、審査員の好みに合わせた同じような写真ばかりになっちゃうのは避けられないよ、まったく悪循環さ。荒木経惟はレギュラー審査員だし、今年から森山大道もレギュラー審査員になるってことだけど、大丈夫なのかな。
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次は、「写真新世紀」が今年で10周年なのを記念して行われた「Futuring Power展」だよ。この写真展は、過去の受賞者達の受賞作や新作を一同に会して展示するものなんだ。会場は大阪港という辺ピな所なんだけど、駅から出ると“いかにもそれッポイ”若者がファインダーをのぞきつつ歩いてたりして、ある意味「写真新世紀」の社会における位置付けをいきなり見せつけられた格好だね。
さて、その展示はというと、「写真新世紀」の10年を良くも悪くも表現した形、と言っていいかもしれないな。まるで先に書いた危惧を証明するかのように、ある系統に沿った作品がいくつもならんでいて、それらはどれも同じにしか見えなかったね。新しさなんてものはなく見るのもウンザリ感が漂ってた。やっぱり審査員に合わせた作品づくりがなされているんだなぁ、とあらためて確認できたってもんさ。
でもね、それに対する形で、目に入ってきたのは、それらの系統から逸脱している作品なんだ。この流れの中で「選者もよく選んだなぁ」って思わせる作品ってこと。他人を気にせず、自分を体当たりで撮ったり練ったりしているものはどこか突き抜けてる感があるよね。もちろん奇をてらっただけの作品の話じゃないよ。
もうひとつ気になったのは、展示作品が受賞作つまり旧作なのか、新作なのか明記していなかったことかな。この3年間のは見てるから分かったけど、それ以前のは分からないものも多かったんだ。例えば、佐内正史のなんて「当時これを選んだ人はスゴイ!」って思ったけど、実は新作だったんだよね。
最後に、 図録を買って帰って読んでみたら、どうやら審査員自身も作風のマンネリ化を感じいているようなんだ。21世紀、10年という二つの区切りを超えた今、「写真新世紀」がこれからどのような展開をみせるのか、色んな意味で楽しみになったね。
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